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山形地方裁判所 昭和39年(わ)98号 判決

被告人 黒坂幸子

昭一〇・一二・一三生 無職

主文

被告人を懲役三年に処する。

ただしこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

押収してある金色サツクの万年筆一本(昭和三九年押第二二号符第七号)を没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は山形県天童市大字高木三八番地で父関勝磨、母春枝の次女に生まれ、県立天童高等学校定時制家庭科を卒業し、天童文化服装学院で二年間和裁を習つた後、昭和三二年一二月同県西村山郡河北町谷地戊九番地に居住し近所に工場を有して製材業を含む黒坂次郎の長男で家業に従事していた黒坂正一郎(当時二四年)と婚姻し、以来義父次郎、義母ユキらと同居して家事のかたわら製材業の手伝いをしていたが、昭和三三年一月頃正一郎の弟隆が東京都の就職先を退職し、生家へ戻つて製材業に従事するようになり、次郎は金融関係などを、正一郎は木材の購入販売関係などを、隆は経理関係などをそれぞれ担当していたところ、日頃次郎が酒に酔うと正一郎、隆らに何かと文句を言い、これに口答えする正一郎と口論になり、そのあげく正一郎に対し口癖のように「道楽者家を出て行け」などと罵り、昭和三三年八月頃には正一郎と妊娠中の被告人に対し「お前らいなくとも仕事はできる、どこにでも出て行け」などと怒鳴りつけ、そのため正一郎が一ヶ月ほど家を出て独立の製材業を営むための準備などをしたこともあり、昭和三八年八月頃には正一郎と口論になり、ついには包丁を手にして二階の被告人夫婦の寝室へ入り込み、「お前達を殺してやる」などと口走つたことさえあつたのに、隆は次郎から文句を言われても口答えせず次郎と口論になるようなこともなかつたので、次郎が隆だけを可愛がつて正一郎と被告人を憎んでいるのではないかと思い過ごし、次郎に憤懣を抱いていた際、次郎が同年一月頃から話の出ていた隆と兼子清恵(婚姻当時二二年)の縁談にいたつて気乗りし、同年八月頃には結納を取りかわし、同年一二月頃には結婚式の日取りを翌三九年三月二九日と定めるなどして積極的にこれを進めていたので、隆と清恵の婚姻が実現して隆夫婦が被告人らと同居することになれば、次郎の被告人夫婦に対する従来の態度からみて被告人夫婦はますます次郎から疎んぜられ、ついには家から追い出されるのではないかとの不安にかられ、黒坂方における被告人夫婦の地位を確保するため隆を脅迫して清恵との婚姻を断念させようと考えたものであるところ、

第一、昭和三九年三月一四日昼頃前記河北町谷地戊九番地の自宅二階の自室において、あり合わせのA列5番型(四穴)ルーズリーフ用紙二枚に特に相手に刺激を与えるため赤インクを用い、ペンで「この世で眼中にあるのは貴女だけ、この様なきよ江の偽の甘言を信じ、両親、親類共の反対を押切つて逢瀬を楽しんできた、恋は盲目と云うがやはりそうでした、人間生れながらにして持つた性格はそう絶すく直されるものではない、積り積もつた愛情も君の出現に良つて裏切られ恋の盲目を痛感した、小生この世に生存する限り君には心逝までの私刑を罰する覚悟だ、三月十五日后後十時寒河江八幡神社まで出頭して呉れ、小生等グループの挨拶がある、これも小生等グループの掟だ」などと記載し、あり合わせのハトロン封筒の表側に青インクの万年筆で「河北町谷地松西黒坂孝様」と記載して隆(当時二六年)宛て差出人不明の手紙一通を作成し、同日河北町谷地甲二〇五番地安孫子たけ方前所在のポストにこれを投函し、同月一六日これを隆に到着させて同人に閲読させ、もつて同人の生命身体に危害を加えることを通告して同人を脅迫し、

第二、右の脅迫にもかかわらず隆も家族の者もさほど騒ぎ立てる様子をみせず、しかも隆と清恵の結婚式が予定どおり行われる様子であつたので、どうしてもその実現を妨害しようと考え、同月二六日昼頃前記自宅二階の自室において、あり合わせのB列5番型大学ノートの一枚を破り、その用紙に前同様赤インクを用い、ペンで「十五日は十一時迄待つた、「三人寄れば文珠の知恵」、復讐することに決めた、きよ江を本心からものにしたかつたならこんな卑法な事はしません、信実は何よりの勝利者、小生との過去はどんなきれいな事を言つても消えないのだ、まつ黒な過去、チヤボ(小生等グループでの君の名だ)分つたか、良き妻を得るのは一生の豊作、だがチヤボは一生の不作と言えよう、チヤボときよ江に対する復讐だ、河野邸の二の舞、中田善枝ちやんの二の舞、吉展ちやんの二の舞、寒工に通う弟がいるという、一家毒殺、昨夜から谷地に来ている」などと記載し、これをあり合わせのハトロン封筒に入れ、同日午後二時頃河北町所在の谷地郵便局において封筒の表側にペンで「河北町谷地松西 黒坂孝様」と記載して隆宛て差出人不明の手紙一通を作成し、その頃右郵便局前所在のポストにこれを投函し、翌二七日これを隆に到達させて同人に閲読させ、もつて同人およびその家族の生命身体財産に危害を加えることを通告して同人を脅迫し、

第三、重ねての脅迫もその効果がなく、同月二九日次郎と隆の意思に従い予定のとおり隆と清恵の結婚式が行われたが、それが終了した後、同日午後一一時五〇分頃自宅母家の台所で後仕末中、台所横の土間にあつた七輪コンロから木炭の残り火二個(いずれも長さ約六センチ、太さ径約三センチ)を火箸で十能に取り上げ、これを茶の間の囲炉裏へ運ぼうとした際、結婚式の親戚名乗りの席に出席させてもらえなかつたことや、従来の次郎の言動から同人が隆のみを偏愛し、被告人夫婦を憎んでいると見受けられたことなどに思いがおよんで同人に対する憤懣の情が昂まり、前示第二の脅迫の手紙に記載してある放火の事実が本当に発生するものであることを同人と隆に思い知らせて次郎に対する憤懣を晴らすとともになおも隆と清恵の間をひきさこうと考え、そのためには残り火で物置に火をつけてやろうと決意し、義妹黒坂千代子(当時一九年)と義弟黒坂健(当時一五年)の起居している二階建家屋の南側に接続する平家建物置に火をつければ右二階建家屋まで火が燃え移りこれを焼燬するかも知れないと考えおよびながらこれを認容し、同時刻頃十能に取り上げた木炭の残り火二個を右平家建物置内の南側柱に寄せかけてあつたセメント紙袋に詰められた縄屑の上に置き、右縄屑に引火させて現に人の住居に使用している右二階建家屋に放火し、よつて翌三〇日午前〇時過頃右平家建物置(建坪約七・三坪)全部と二階建家屋(建坪約八坪)全部を焼燬させたほか、隣家の真田重夫所有の河北町谷地戊七番地所在精米小屋一棟(建坪約一八坪)全部と今野太吉所有の同町谷地戊一〇番地所在住宅の屋根の一部を延焼焼燬させ、

第四、右火災の原因につき所轄寒河江警察署が放火と失火の両面から捜査していることを聞知したのでせつかく放火したのが徒労に帰することをおそれ、さらに隆と清恵の間をひきさくためには火災の原因が放火であることを知らせたうえ重ねて隆を脅迫する必要があると考え、同年四月四日午後三時頃河北町谷地所在通称工藤小路中央広場遊園地内のベンチにおいて、買い求めたA列5番型(四穴)ルーズリーフ用紙一枚に持ち合わせの青インク入り万年筆を用いて「貴様の出現できよ江との愛情が裏切られてしまつたのだ、僚の命を賭けた復讐だ!!小生等は貴殿宅の寝静まるのを待つて放火したのだ、「可愛さ余つて憎さが百倍」、こう言う心境を言うのだろう、小生等この世に生存するかぎり貴様をもこの地球上より消してやる覚悟だ、すべてが裏切られたきよ江と貴様に対する復讐なのだ、憎いチヤボ野郎め、思い知れ」などと記載し持ち合わせのハトロン封筒の表側に右万年筆で「河北町谷地松西 黒坂孝様」と記載して隆宛て差出人不明の手紙一通を作成し、同日午後四時頃わざわざ寒河江市へ赴いて同市の寒河江郵便局前所在のポストにこれを投函し、翌五日これを隆方へ到達させて同人にその内容を知らしめ、もつて同人の生命身体に危害を加えることを通告して同人を脅迫し

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示第一、第四の各所為はいずれも刑法第二二二条第一項、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号第二条第一項に、判示第二の所為は刑法第二二二条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号第二条第一項に、判示第三の所為は刑法第一〇八条にそれぞれ該当するが、判示第一、第二および第四の罪についてはいずれも所定刑中懲役刑を、判示第三の罪については所定刑中有期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条、第一〇条により最も重い判示第三の罪の刑に同法第一四条の制限内で法定の加重をし、なお後記のような犯情を考慮して同法第六六条、第七一条、第六八条第三号により酌量減軽した刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、情状により同法第二五条第一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、押収してある金色サツクの万年筆一本(昭和三九年押第二二号符第七号)は判示第一、第四の脅迫の用に供した物で犯人以外の者に属しないから、同法第一九条第一項第二号、第二項を適用してこれを没収し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。

(情状)

本件犯罪の情状について検討するに、(1)被告人は、本来祝福すべき義弟隆の結婚の成立を阻止するため新婦清恵の愛人を装い判示のごとく三回に亘り差出人不明の脅迫状を隆宛に郵送して脅迫し、しかも脅迫が単なるおどかしでないことを示すため終に自宅へ放火の手段に出るに至り陰険な脅迫手段により隆と清恵の仲を執拗にさこうとしたこと、(2)脅迫状中二通は赤インクで記載され刺激的で、確実な効果を意図し、また脅迫状の内容は集団による徹底的な私刑を加える旨あるいは世上に著名な河野邸の放火事件、中田善枝事件、吉展ちやん事件の再発を予告し、一家を毒殺する旨等を各通告していて極めて悪質であること、(3)脅迫状は隆宛のものであるが、いずれも同人の父次郎宅に郵送されてその文意は隆以外の家人にも了知され同人らをも畏怖させたこと、被告人においてもこのことは予想していたこと、(4)本件放火は黒坂方物置およびこれに接着する二階建建物(現に義弟義妹が就寝中)に対するもので、これらを全焼せしめているし、家人の起居する同家母屋は右二階建建物と密着していて延焼の危険は著しく、現に両隣りの住家等にも延焼させていること、(5)町民は被告人の逮捕までの約一ヶ月間交代で部落の夜警に当り、多数の部落民に与えた不安は甚大であつたこと(もつとも本件脅迫状と放火との関連性を知らされる方法がとられたとすれば黒坂方以外の部落民の家に放火されることの不安は解消されていたはずである)等その他被告人に不利な諸事情を考慮すれば、被告人の犯情は極めて重いといわなければならない。しかしながら、(1)義弟隆をはじめ義父次郎ら家人はもし隆と清恵が結婚すれば脅迫状に予告された害悪の到来すべきことを全面的に信じたわけではなくて清恵から同女に脅迫状にいうような男関係のないことを確めた結果、脅迫状は何人か同女と隆との結婚を嫉む者のいやがらせのためにする仕業とも考えたこと(それで警察に届出ていないし、予定どおり挙式を行つている)、(2)消防団員の消火活動の結果幸い本件放火による物的損害は黒坂方では前記古い二階建建物と物置を全焼させただけで母屋は無事であり(損害額約六九〇、〇〇〇円、なお、就寝中の者の生命身体には全く別条はない)、延焼させた両隣りでは精米小屋一棟(機械等を含む損害額約一、二七〇、〇〇〇円)を全焼させ、住宅の屋根の一部(損害額約一五七、九〇〇円)を焼いた程度にすぎず、さほどの大火とはいえないこと、(3)本件放火は脅迫が効果なく、結婚式が挙行されるに至る場合までをも考えて、予め熟慮計画されたのではなく、偶々コンロの残火を取り除く際に突如思いつかれたこと、(4)被告人は本件放火当時母屋茶の間に家人ら三名が雑談中であつたので、火災がやがて同人らにより発見される公算の多い状況にあつたことを知つていたことであり、また放火の主たる動機が脅迫のため通告した放火を実現し単なるおどかしでないことを知らしめる方法により結婚を阻止することを意図したものであること等を考慮すれば、被告人には少くとも前記二階建建物については、前記物置内のセメント袋に点火した火がこれ(二階建建物)に燃え移りこれを焼燬することのいわゆる未必的認識並びに認容があつたにすぎず、この点につきいわゆる確定的認識ないし積極的意図があつたわけではないこと、(5)義父次郎の従来の言動から同人が義弟の隆を偏愛し、自分ら夫婦を憎んでいると思い込んでいた(かく信じたことは己むを得ない)被告人は、隆が清恵と結婚すればこの結婚につよく賛意を表明していた次郎が義弟夫婦を寵愛するにひきかえ益々被告人夫婦を疎外しやがて夫および二児ともども黒坂方を追われる羽目になりかねないとの不安に陥り、自分達の立場を防衛する意図の下に本件各犯行に及んだものであり、加うるに右の不安に悩みながらも、この不安の根源が嫁たる被告人にとつては如何ともなし得ない当の結婚の積極的な推進者たる義父の絶対的な意思であるところから、この不安を解放する適切な方途を見出し得ないまま数ヶ月の間、極度に心痛困憊した被告人の心情にはまことに同情に値するものがあるといわなければならないこと、(6)義父次郎をはじめ黒坂方の家人は被告人を本件各犯行に追いやつた責めの一半が被告人夫婦に対する次郎の言動にあることを承認し、被告人に対しむしろ憐憫の情を表明しており、黒坂方では延焼の被害を受けた各隣家に対し焼失家屋を新築してやる等被害の弁償を了し、また、多数の部落民に与えた不安の償いとして町当局へ相当金額の寄附をする等夫々陳謝の誠意を示し、同人らから宥恕を得ていること、(7)被告人は幼い二児の若い母親であり、被告人自身のため、わけても罪のない子供達のため今後なおなすべきことの多いこと、(8)改悛の情の極めて顕著なるものがあること等その他被告人に有利な一切の事情を斟酌するときは前叙のように量定処断するのが相当であるといわなければならない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 岡本二郎 古市清 加藤一隆)

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